だいすけろくの日々

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思い出のM先生 3

2日前の投稿の続きです。

ロシア語学習の挫折体験

 とにかくですね、卒論研究において、M先生の強烈さに愕然としていた一方で、ロシア語習得でも壁にぶち当たっていました。ロシア語の独学を開始したのは一週目のゼミの翌日。前もって購入した初級ロシア語の参考書を開きました。(そもそも始める時期がそこというのが遅すぎるんですが)*1

 ロシア語は、英語やスペイン語とは違う文字を使う言語。
だけど、文字はたったの40個だけ。*2
だから、ロシア語の文字や読み方なんて朝飯前や、と思い、実際に出だしは案外順調でした。

 文字の読み方は2日で覚えた。どのラテン文字(アルファベット)に相当するのかを考えながら覚えたらすんなり身につきました。ロシア語って、難しい言語と言われているけど、簡単やん。

 お次は、ロシア語で一番簡単な文法解説「これは~です」。これは英語より楽勝。所謂be動詞に相当するものがロシア語にはない。だから単に単語を並べたり、最初に「エータ」(これ)を付けるだけ。なので楽勝でした。

  その次は、男性名詞・女性名詞・中性名詞の区別に関する学習。これも簡単。スペイン語と違って中性名詞があるのはちと厄介だが、単純に単語の語尾を見れば、名詞の性が分かるのはスペイン語と同じ。こりゃぁロシア語は簡単やん❗️勝ったな❗️飯食ってこよ❗️

「ロシア語なんて難しいって言われているけど、楽勝やん❗️
と油断していました。もうM先生を見返した気になって有頂天。

 お次は名詞の複数形や格変化*3に関する解説。
ここの辺りから、今までの順調さが嘘のように雲行きが怪しくなってきた。

(え、男性と女性で変化が全然違うやん)
(
それどころか同じ男性、女性名詞でも、単語によって変化が違うの)
(
てか例外も無茶苦茶あるんかい)

 

 とにかく、ロシア語の名詞は文脈に応じて変化し、変化するルールが多すぎる。

まぁまぁ、とりあえず分からない所は無視して先に進もう、後でいつかは理解できると思うから、とまだ期待していました。

複数形や生格の次は「対格」の説明だったと思う。しかし学習書の内容が全然頭に入ってこない。もう(「対格」って何⁉️)レベル。ロシア語の語学学習書は当然、日本語で書かれているのだか、その日本語がまず理解できない。

(対格とか、硬音、軟音,子音交代って何)
(
勝手に単語の語尾あたりの文字を変えるんじゃねぇよ❗️)
(
ぎゃあ、この活用表、何かの暗号表なんか⁉️)

と色々突っ込みたくなりました。

 なんとかロシア語の初級学習書を最後まで読み切りました。もう後半は何かの拷問のように思えました。

 最後までやり通した結果はというと、最初の5%は理解できた。その次の5%は、なんとなく分かった。残り90%は全然分からなくて頭が真っ白。

 じゃあ、もう一回最初に戻って学びなおすか。

2回目の結果、最初の5%はもう覚えたから読み飛ばした。その次の5%は、復習残り90%は相変わらず分からないまま。

 じゃあもう一回。3回目の結果、最初の5%は読み飛ばした。その次の5%は、復習。残り90%は、以下略

 入門書を何度繰り返しても「残り90%」要するに肝心の主要部部分がどうしても理解できない。ついていけない。進歩しない。

スペイン語だったら、何回も繰り返せばだんだんわかってきたんだけどなあ。

 

よくわかった。こんなん、時間がなんぼあっても足らんということに。自分の頭だと、短期集中で習得できるシロモノではないということに。ましてや、大学院での研究で使いこなせるレベルなど・・・(泣)

 

クズはクズなりに

 そしてついにやってきたプレゼンの日。案の定、M先生は不機嫌モード全開で、途中で何度も横槍が入ったものの、犠牲者たちの中ではマシな方で、打ち切られることなく、最後まで駆け抜けることができました。

 が、しかし、ロシア語の学習状況の話しになると、さらにM先生の不機嫌ぶりはレベルアップ。他のゼミ生や3回生の後輩らの前で説教され、頭は真っ白、言葉も出てこず泣きたくなりました。1番凹んだのはこのフレーズを言われたとき。

「だいすけろくさん、あなたね、大学院めざしてロシア史研究している人がロシア語の格変化ひとつ満足に覚えられないなんてね、おままごとそのものですよ。胡散臭いどころか、ロシア史学全般を馬鹿にしているとしか私には思えません」

 はい、たしかにわしはおままごとレベルでした。その国の歴史を研究するのにその国の言語を知らないという、学問としての外国史学界では非常識極まりない甘ちゃんな低脳のクズでした。なので、このままでは大学院進学しても通用度ゼロで人生詰むだけだという判断も頷けます。

 ただ、それとは別問題で、これはわしを含むゼミ生全体に対して言えることですが、これまで、M先生は自分の理想的な大学の学生像と現実の学生像とのギャップに苦しみ、苛立ち、その鬱憤を我々にぶつけていたのではないか、と思うようになりました。

 というのも、ウェブでM先生の経歴を調べてみたんですが、それはそれはすごいものでしたよ。ロシア史研究のガチコース。*4多分学生時代からこの大学に着任するまで、ガチ勢の中だけでずっと生きてきたのではないか、と感じます。もう、M先生の中の当たり前の基準は、我々から見れば凄まじく高い所にあったわけですね。

 やがて、4回生のプレゼンが一通り終わると、3回生のプレゼンが始まるわけですが、卒論研究開始したばかりの3回生相手でもM先生は容赦なし。特に可哀想だったのは、「ロシアから見た日露戦争とその影響」というタイトルでプレゼンした女の子でした。彼女は用語の表記法から横槍を入れられて中断させられまくった挙げ句、

「このレベルなら、高校受験生でも知ってるでしょ❗️くだらない」

と一喝されて泣き出してしまう始末。勿論フォローは一切ありません。

 これは我々にとっては本当に逆効果で、結果的にわしの代全員が卒業まで漕ぎ着けたことから分かる通り*5、それなりに及第点な卒論は書けたわけです。なので、M先生がそんなに当たり散らす人でなければ、もっと良い卒論にできたのでは、と思ったし、もしかしたらロシア語学習もM先生のプレッシャーのない分落ち着いて取り組め、大学院への道も見えてきたのでは、と思うのです。勿論、わしがそれ以上に全てを犠牲にして死にもの狂いで頑張る前提で。

 しかし、ここでM先生のプレッシャーという凄まじい緊張状態下に置かれると、たちまち思考停止して、何もできない、何も言えない状態になってしまう。

 本来の指導教員である高橋先生のいない前期の間、我々の頭の中はM先生に対する恐怖でいっぱいでした。卒論研究というより、M先生を怒らせないための活動をしている、と呼んだ方がしっくりくるくらいに。

 

長くなったので、今回はここまでにします。

 

つづく

 

 写真は3年前に大阪の某ロシアンレストランで食べたボルシチ定食

 

 

*1:じゃあそれまで何をしていたかといえば、旅行で困らない程度にスペイン語を話せるよう、スペイン語会話を独学でしていた。全くやりたいこととやっていることがバラバラなのである

*2:キリル文字ギリシャ文字から独自に発展した表音文字

*3:その名詞が主語か目的語かなどに応じて、名詞の語尾が6通り変化するんですよ。なんで、この語尾だけで文の意味合いが全然変わってしまう。なお、これはポーランド語やチェコ語などスラブ語族に見られる

*4:筑波大〜一橋大学大学院〜北海道大学スラブ研究所

*5:M先生が来る前の3回生の夏に中退した奴は1人いた