だいすけろくの日々

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思い出のM先生 4(終)

4日前の投稿の続きです。

大学院進学希望者向けの英書講読演習でも怒られまくる

さて、4回生前期には以前の投稿内容以外にも、「西洋史の理論と実践」(科目名はうろ覚え)というものを受講していました。これは、大学院進学希望者のみを対象とした英語で書かれた西洋史の史料を解読していくという、高レベルな講読演習科目*1で、まず1回生時の英語が全てA以上かつTOEICで基準点以上を取る必要がありましたが、わしはこの基準を運良く満たしていて、割とあっさり受講を認められました。担当の先生からは「期待してます」とさえ言われました。

担当していたのは、西洋史専攻でアメリカ史専門のH先生*2で、M先生とは異なり、学生とも気さくに交流する朗らかでフランクな方でしたが、実際に始まってみると、悲惨そのものでした。

内容としては、配布した英書のコピーを各自和訳し、それを読み上げていくスタイルで、初めてではありませんでした。*3わしとしてもある程度の自信はありましたが、2週目の演習でわしが当てられて訳した箇所の和訳がどうもH先生の怒りのスイッチを押してしまったらしく、好々爺的な感じだったH先生は豹変。

「4回生にもなって、その中学程度の訳出しかできんとは何だっ⁉️けしからん‼️3回生でも散々やってきたはずやろ‼️僕もあんまり怒らないように努めてはいるけどさ、これはひどい、久々にイラッと来たわっ‼️」

と怒鳴られ、ここまで怒りをあらわにしたH先生を初めて見た*4わしは凍りつきました。特に「中学程度の」のくだりはトラウマとともに脳裏に深々と刻まれることとなりました。そして、これまでの自信は木っ端微塵に打ち砕かれ、大学院での研究というものの敷居の高さを思い知ることになります。以後、M先生に負けず劣らず鬼モード一色のH先生とも地獄のようなひとときを過ごすことになりました。他の受講生も訳の稚拙さで怒られてはいたものの、明らかにわしにだけ風当たりが強かった。これはロシア語学習に迷走しだした時期や、M先生の恐怖のゼミとも重なったこともあり、もうストレスでしかありませんでした。

M先生との面談で大学院を諦める決意を

そうこうしているうちに、6月になり、4回生は全員進路と卒論の方向性を決める面談をM先生とすることになりました。

この面談でのやりとりはよく覚えてますし、正直書くのもツラいです。M先生はため息混じりにこう言いました。

「だいすけろくさん、はっきり言って、あなたは甘いし、何より非常識過ぎますよ。ロシア語ってね、史料読めるレベルまでは大体どう頑張っても5年はかかるんです。私一昨年まで国際関係学部*5にいましたし、ロシアの研究したいっていう学生も指導しましたが、皆1回生からロシア語検定とか自発的に受けて努力してましたよ。これはあなたと同じ私のゼミ生にも言えるんですけど、どうせあなたは高橋先生に散々甘やかされて3回生を過ごしてきたんでしょ。だから自分で何もできないし、やろうともしない。このままじゃ、運良く大学院行けても路頭に迷うだけですよ。いや、それどころか社会でもやってはいけないでしょうね」

はい、まさしく正論だと思います。前述のH先生を筆頭に、おおよそ大学院を経験した大学教授という方々の9割はこの言葉に同調するでしょう。

ただ、一点だけそれは違う、と主張したいのは、「やろうともしない」という部分です。M先生にとっては、わしがロシア語で行き詰まったのも、おそらくはH先生に英書講読で怒られまくったのも、ひとえにわしの努力不足の結果。でもわしからしたら、頑張ったけどできるようにはならなかった、ということなのです。

ひとつ前の投稿でも少し触れましたが、ここにわしとM先生やH先生との間の認識や常識の埋まりようのない格差が存在していて、最先端の学問の世界に身を置いてきた先生方にとって、語学力なんて、わしにとっての「高レベル」で当たり前。誰にでもできること。先生方にとっては、わしのスペックが劣っていることも、強いプレッシャー下に置かれると混乱してしまうことも、あり得ない非常識なこと。それができないのはとにかく努力が足りないから。

しかし、わしの母校レベルの大学にあって、どれくらいの学生が、M先生にとっての「常識」の範疇を満たしているのでしょうか。おそらくは相当一握りの上澄みのガチ勢しかいないのではと思います。皆、色々な経験を大学時代に重ねて、進路決定のヒントにしていくものなのではないでしょうか。わしのゼミ仲間に、大学院受験を突破して某難関国立大学の大学院に進学したN君*6という男がいます。彼はオーストリア帝国史を研究テーマにしていましたが、ドイツ語*7はドイツ語検定4級レベルでした。1回生時からガリ勉なんてしておらず、バイトして遊びまくっての日々をすごしていました。*8それにM先生はその常識を大学院など考えてもいない就職組や教員や公務員志望組にも要求していました。

それを悟った時、わしは大学院も研究者になることも諦める決意をしました。わざわざ認識レベルの違う人たちとは、少なくとも自分はやってはいけない、と気づいたのでした。

M先生との関わりから考えたこと

まずはあの頃の自分が無謀だったと理解した上で書いていこうと思います。

大学院進学を目指す学生向けの指導が厳しいのは理解できます。これは高橋先生もおっしゃっていたことですが、我々の暮らしをを豊かにする、便利にする、といった意義や目的意識の明白な理系学問とは異なり、文系、とりわけ人文科学系の学問研究は、その意義を明確にすることが困難であり、その意義を裏付けることが重要であり、そのための語学力や理論が重要となってくるからです。隙があれば簡単に理論破綻します。なのでプレゼンや語学で怒られまくることは確かに必要なことかもしれません。

ただ、わしが思ったのは、なら「厳しい=恐い」でよいのか、ということ。M先生のように、ゼミ生全員にガミガミ頭ごなしに怒りまくる指導も厳しさとして肯定する人もいるでしょうが、これだと、「研究の楽しさに目覚め、潜在的に研究者として大成しうる学生」から学ぶモチベーションを奪うことに繋がりかねないとも思うのです。ただ、自分とは相性の悪い恐い教授に当たったがために全て狂ってしまう。勿論、その辛辣な指導を乗り越えて卒業できる学生の方が多いでしょう。

教授ごときで将来が左右されるほどぺえぺえな学生に大学ましてや大学院のような高等教育を受ける資格はない、と思う人も多いと思います。でも、彼ら彼女らだって、形式はどうであれ、将来の目標を持ち、そのためには大卒資格が要るから、それなりに受験勉強頑張って、大学生になったんです。*9

だから、教授の怒号で精神不安定になるレベルの奴に大学行くななんて、わしは言えません。しかし、M先生の主観*10だと、そうじゃない。自分の認識から外れた多数派の学生はヒトデナシなんですね。もう存在を認識するのも嫌なレベル。

そして、この常識のレベルの違いはあれど、我々だって自分の主観における非常識な人間をいつの間にか切り捨てているわけです。たまに見かけるでしょう。こんな簡単なのもできないなんて信じられない、というレベルの人が。

以後、わしはH先生の講読演習を諦め、ひたすら卒業することだけを目標に、卒論研究へと邁進したわけで、4回生後期には高橋先生が帰国されて復帰したのもあり、それなりに卒論を提出、ギリギリ及第点で4年での大学卒業となったわけでしたが、本当の地獄は、就職してからでした。ここからのことは気が向いたら書こうかと思います。読んでくださった方、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

*1:ちなみに受講生はわしを入れて4人

*2:男性。ちなみに現在は他大学に異動されている

*3:3回生時の講読演習で経験済み

*4:H先生には2回生の頃に基礎研究でお世話になったが、とにかく褒めて伸ばすやり方だった。不機嫌なところは見たことがない

*5:国際関係学部の第二外国語にはロシア語の選択肢があった。文学部にはない

*6:研究者志望でしたが、修士課程で挫折し、その後就職した。今は人材派遣会社の営業をしている

*7:オーストリア公用語だからな。ただM先生にはハンガリー語やイタリア語も読めないと、と脅されていた

*8:しかし、基本スペックはわしより優れてはいた気もする。H先生の英書講読にもついていけてたし。ただ、TOEICの点はわしが上だったが

*9:いい加減な気持ちで何となく大学入った人は今すぐ決めなさい。大学以後の目標を

*10:ちなみにH先生は自分のゼミの遊び人たちとは仲良くしていたから、まだ寛大というかストライクゾーンは広かったのだろう