おはようございます。
アヴィニョン2日目です。
午前8時に起床しました。
今日はアヴィニョン観光です。
泊まっているホテルF1アヴィニョンTGVから徒歩5分でアヴィニョンTGV駅です。
ホテルは朝食サービスついていなかったため、キオスク(みたいなところ)で朝食。
この駅は、アヴィニョン旧市街から約5キロ離れており*1、旧市街前にあるアヴィニョン・サントル駅までは在来線の電車に乗らなければなりません。
取り敢えず往復切符を買います。往復4.2ユーロ。電車に乗る際は、ホーム入り口の黄色い打刻機で打刻しましょう。*2
アヴィニョン旧市街
アヴィニョン・サントル駅を出たら真っ正面が旧市街出入り口の門でした。旧市街は城壁で囲まれているようです。中央の目抜き通りを北に進みます。やはりヨーロッパの旧市街はどこも素晴らしい。
やがて、レストランが軒を連ねるエリアに出ました。店員さんたちがせっせと開店準備中でしたが、中には既に営業開始店舗もあります。
スペイン料理のレストランもありました。美味そうです。久しぶりにパエリアを食べたくなりました。でも、もうすぐスペインにも行くので、それまで我慢しましょう。
レストランエリアを抜けると、突然目の前に現れるのがアヴィニョン教皇庁です。かなり巨大で武骨な感じで威容を放っています。
アヴィニョンは、中世ヨーロッパのキリスト教史を語る上で欠かせない場所です。というのも、14世紀のうち約70年の間、その名の通りローマのバチカンにあるはずなローマ教皇庁すなわちカトリックの中心がこのアヴィニョンにあったからです。
ローマ教皇と折り合いの悪くなったフランス王が当時のローマ教皇を拉致して拷問し、その官位を剥奪、当時の教皇はショック死したそうです。*3その後、フランス王の傀儡となるフランス人教皇が即位、さらにフランス王家はよりカトリック教会を自分の意のままにすべく、教皇庁をフランス国内のアヴィニョンに移管*4し、以後9人の教皇がこのアヴィニョンで即位しました。まさに、フランス王家と癒着していたわけです。
やはり、西洋史を学んだ者としては、歴史の舞台に来れたことが何よりの喜びです。
入場料は、後述のサン・ベネゼ橋との共通チケットが14.5ユーロ。(約2,175円)
尖塔の上には黄金のマリア像がアヴィニョンを見下ろしていました。
中庭です。当時はかなり豪華絢爛だったことでしょう。
内部はご覧の通り、基本的に何もなく、空っぽです。なので、受け付けでタッチパネル式のタブレットとオーディオガイドを借りました。この場所に実際にあったものを想像図つきで補足説明してもらえます。チケットを買う際に国籍を聞かれるので、日本だと答えたら日本語版を貸してもらえます。
ここまで空っぽなのは、18世紀末に勃発したフランス革命時に、フランス王家と癒着していたアヴィニョンの教皇庁もまた、王政の象徴とみなされて革命軍による打ち壊しに遭い、かつては鮮やかに彩っていたであろう装飾品や聖画のほとんどを破壊されてしまったため。
それでもそこはかとなく残る装飾品や聖画の痕跡が、辛うじて栄華を忍ばせます。
そんな感じで改めて歴史勉強の場となった教皇庁でした。次はサン・ベネゼ橋です。
つづく