久々の更新です。
前回の記事内容は大学生時代の恩師についての内容だったので、今回も大学時代ネタを。ただし、暗い話も出てきますし、読んでいてあまり楽しいものではありませんので、そこだけはご了承ください。長くなりますので、複数回に分けて書いていきます。
2012年4月、晴れて大学4回生になっていたわしは、文学部西洋史学専攻卒論ゼミ生2年目を迎えていました。*1
既にわしの代は就活が解禁されていて、同じゼミ生の多くはスーツ姿で春休みから企業説明会に出かけていましたが、わしは当時大学院進学を希望していたので、全くそのような活動はしていませんでした。充実の3回生時代を過ごさせていただいた恩師高橋先生が在外研究で前期はいらっしゃらない*2のは少し残念だけど新年度からロシア史専門の教授が着任、しかも前期はウチのゼミを担当するとの情報があったので、ロシア史がテーマなわしとしては願ったり叶ったりな環境になるやん、と希望に満ち溢れていました。
なので、春休みは貯めたバイト代でスペイン放浪の旅に出て英気を養っていました。*3
この見通しが激甘であることに程なく気づかされるわけでしたが。
今思えば、この低スペックぶりでロシア史を研究テーマに大学院進学を目指そうと思った自分の甘さというか命知らずぶりに対して、笑いが止まりません。今思えば、後述の苛烈な卒論指導に耐えかねて挫折、大学を中退する一歩手前にわしはいたのだと思います。
2012年度前期の卒論ゼミDクラス(ヨーロッパ近現代ゼミ)を前期に担当した女性教授に、わしもゼミ仲間も、新たにゼミに仲間入りした1学年下の後輩たちも、それはそれはボロカスに怒られました。
最後まで一通り静かに研究テーマのプレゼンを聞いてから最後にまとめた改善点を簡潔にアドバイスしてくださった高橋先生とは異なり、プレゼン中に容赦ない横槍を入れられて怒られるのは当たり前、更に怒られている子の将来の希望進路を聞き出し、その上で「あなたはそんなのでそれになっても通用しませんっ❗️」
と怒鳴りつけるのも度々。教授がここまで厳しいのはどうかはさておき、とにかく否定されまくりました。
長くなりましたが、ここではそんな大学4回生前期に起こったこと、その経験から考えたことなんかをありのままに書いていこうと思います。
前期1週目のゼミの教室。我々はゼミ生や後輩たちとの再会を喜び合っていました。わしはスペイン土産のお菓子を全員に配ったりしていました。
そんな我々の目の前に、地味なグレーのパンツスーツ姿の40代半ばほどの化粧気もない小柄な女性が現れました。
「みなさん、今日から前期の間、このDクラスを高橋先生からお預かりさせていただきます、Mです。何卒宜しくお願いします」
にこやかな笑みを浮かべながら深々とお辞儀をしたM先生に対し、我々は不安な眼差しで頭をさげました。というのも、高橋先生ご自身もこのM先生についてはよくご存知なかったようで、事前情報はロシア史専門であること、以前は国際関係学部にいたこと以外は誰も知らなかったからです。
今日は一旦ここまで。
つづく