だいすけろくの日々

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恩師の最終講義

今日は、有給休暇を1日使い、初回の投稿でも少し触れましたが、京都にある母校の立命館大学衣笠キャンパスにて、文学部西洋史学専攻で過ごした大学時代の指導教官だった恩師・高橋秀寿先生の定年退職記念最終講義に参加してきました。先生は1981年に立命館大学文学部を卒業後、大学院に進学、博士過程におられた88年から91年まで西ドイツ*1に留学、講師生活を経て1998年に助教として母校でもある立命館大学に奉職され、以後、24年にわたり戦後ドイツ史*2をテーマに近代化とは何かを探究する研究職を全うされました。著書も執筆されました。

 最終講義開講の30分くらい前に母校に着きましたが、校舎の内装があまりにも変化していて、軽く浦島太郎状態になりました。まあ、卒業して10年経っていることを踏まえても、驚きでした。

 

ここなんて当時は古めかしい輪転機とかしかなかったのに、実にお洒落な空間に変貌していました。*3

講義の様子は、対面式の他に、各家庭のパソコンからでもライブで見られるよう配信されました。それでも、かなりの数のOB、OGが参加していました。ただ、わしの同期は1人もいませんでした。ほとんどが2008年度くらいまでの上の世代の卒業生の方々でした。

 

司会は、同じ西洋史学教授の小林功先生(奥)が担当されました。*4

高橋先生は、わしが卒業した10年前と何らお変わりなく、お元気でした。最終講義は、先生の経歴から始まり、ドイツ留学時代やドイツでの在外研究の思い出と続き、現在のテーマに至った経緯を、笑いを交えながらも問題意識を明白にさせて続きました。印象に残ったのは、

「私が大学院で初めてドイツ留学した間、運良くドイツやヨーロッパでは色々な激動の時代*5だったおかげで、それを一外国人として俯瞰することで、自分の研究テーマの方向性も決まり、楽しく研究できるようになりました」

というくだりです。

 ゼミでも何度か聞いた話もありましたが、改めて聞くと、新しい気づきがあったりして、新鮮味を感じました。

 

講義中の高橋先生

 

 高橋先生に関する学生時代の思い出としては、一回生の最初の西洋史概説の授業で、入試世界史気分の抜けない我々の歴史認識を破壊する難解な講義*6に始まり、そこから卒論準備に進んでいく中で、あの講義にはこういう意図があったのかということが少しずつ明らかになっていった、いわば「発見」の連続が第一挙げられます。

 また、先生は過去の歴史的事実に囚われず、時事ネタとも上手く絡めて日本社会や政治を皮肉るのが実に上手で、さらに各自の研究テーマの意義を考えるように、という「何がために」の姿勢を大事にされていました。型に囚われない、フランクでリベラルな思考をお持ちの先生でした。

 そして何と言っても、ゼミ後に不定期に開催される飲み会も最高でした。*7

  楽しい時間はあっという間に過ぎ去りました。先生はわしのことも覚えてくださり、卒業してからもずっと気にかけてくださっていたそうです。わしの代の参加者がわし以外いなかったので、少し残念そうにしておられました。どうやらわしの代は教授人生の中でも特に印象的な代だったようです。*8

「しんどいでしょうけど、笑顔で、前向きにいてくださいね、ちゃんと美味いもの食べてたら、何とかなります」

と有難いお言葉を頂きました。久々にお話しできたのは、ツラい日常の中でも大きな励みになりました。また、上の世代の先生の教え子の方々の先輩たちとも知り合え、当時の思い出話を聞けたのも良かったです。

 

 高橋先生、長い間お疲れ様でした。退官後も特任教授として、文学部の御意見番として大学に残られるそうですが、くれぐれもお身体に気をつけて、無理をなさらず、いつまでお元気でいてください。またお会いできたらこれほど嬉しいことはありません。

最後に記念撮影。右奥から高橋先生、わし、先生のご子息の岬生(みさき)君。

 

 

*1:この期間にドイツは東西統一され、現在のドイツになった

*2:ドイツ人は戦後、戦争責任をどう捉え、どう向き合ってきたかを、戦後ドイツの流行、サブカルチャーを通じて考えるというのが最終的テーマ

*3:立命館大学文学部生ならお世話になる清心館一階

*4:専門はビザンツ帝国

*5:1989年のベルリンの壁崩壊、それに続く東西ドイツ統一、東欧諸国の民主化ソ連崩壊

*6:ちなみにこの時のわしの試験の成績はギリギリC

*7:飲み会の会費は全員分の半分〜3分の2ほど先生に出していただきました。ありがとうございました

*8:突然音信不通になり中退した者、ゴネて楯突いた者、卒論の方向性が定まらず提出直前まで迷走した者、飲み会で飲み過ぎてはっちゃけ過ぎて店の備品破壊した者、良くも悪くも確かに忘れ難い面子だったのはうなずける