だいすけろくの日々

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仏西旅行覚え書き DAY 15

おはようございます。

仏西旅行覚え書きシリーズ、約4ヶ月ぶりの復活でございます。旅に出て15日目、4月18日、この日はスペインバスク最後の訪問地、ゲルニカに行ってきました。

朝食

午前7時30分頃に起床しました。小一時間くらい前の日程のブログを書いたりしながら過ごし、8時20分過ぎに宿を出て地下鉄でもうお馴染みになりつつあるビルバオの旧市街に向かいます。

スペインの朝は結構遅いです。平日の火曜日にも関わらず、地下鉄はすっからかんでした。

泊まっている宿には朝食がついていないので、たまたま目についたバルに入ります。おじさん2人体制で絶賛稼働中でした。

ガラスケース内に陳列してあるタパスの中からいつものように適当に目についたやつをチョイス。それからカプチーノ。ありがたいことに、何を選んでもハズレはありません。総額5ユーロ(約750円)。何気にお腹いっぱいです。

バルを出て歩いていたら、操り人形を操作して、その人形に絵を描かせている路上パフォーマーおじさんがいました。絵自体が上手いし、すごいテクニックだと思いました。

さて、ゲルニカまではビルバオ市内からバスで約70分くらいです。前日にサンセバスチャンに行った時とは異なり、ゲルニカ行きのバスはビルバオの玄関口のアバンド駅横のバス停から出ています。地下鉄と共通のプリペイドカードで乗れました。片道3ユーロ(約450円)。

バスは、ビルバオの空港から市内まで移動したのと同型の、特に何の変哲もない路線バスタイプ。

事前に調べた感じだと、70分とか1時間ちょいで着くそうなのですが、50分くらいで着きました。ノンストップだったからなのかな。

 

ゲルニカ

ゲルニカで降車したバス停です。小さな鉄道駅にも隣接しています。(写真を撮る筆者の背後が駅)もっと栄えている街をイメージしていましたが、予想以上に長閑な田舎町という感じでした。

ゲルニカを有名にしたのは、何と言ってもスペインの美術界の巨匠、パブロ・ピカソの代表作、スペイン内戦の悲劇を余すところなく描き出した『ゲルニカ』です。この作品そのものはマドリードのソフィア王妃芸術館に展示されており、わしも7年前に見学しました。

スペイン内戦は、1936年から39年まで続いた当時のアサーニャ政権下の共和国政府の左傾化*1に危機感を覚えた極右派のフランシスコ・フランコ将軍に率いられた反乱軍によるクーデターです。

この内戦最中の1937年4月26日、フランコ将軍と裏で手を結んでいたナチスドイツ*2爆撃機ゲルニカ空爆。これが後の第二次世界大戦を始めとする数々の戦争におけるトレンドともなる、世界初の飛行機を用いた無差別爆撃でした。ゲルニカ空爆された理由は、共和国左派の活動拠点だったからとされていますが、実際に犠牲になったのは、無関係な一般市民でした。その数は約2000人にも及びました。ドイツとしては、飛行機を用いた攻撃の威力の程を試したい意図があったようです。

1937年時点で、パリで芸術活動に勤しんでいたピカソは共和国政府からパリ万博のスペイン館に装飾するための絵画作品制作を依頼されていましたが、同年4月のゲルニカ空爆の報を聞いてショックと怒りに打ち震え、その依頼を辞退して、その代わりに後の代表作『ゲルニカ』をわずか1ヶ月少々で描き上げたとされています。

 

バスク議事堂とゲルニカの木

まずは、空爆を免れた当時の市庁舎、バスク議事堂へ向かいました。バス停から5分ほど坂を登った高台にありました。周辺は緑豊かな公園になっています。

円柱で守られているのが、ゲルニカの町民のみならず、バスク人の心の拠り所となっている「ゲルニカの木」の幹の部分です。中世にこの樫の木の下で独立の宣誓が行われことから、バスク自治の象徴とされています。しかし、この木は空爆で燃えてしまい、幹だけが残った状態です。

議事堂の中には立派なシャンデリアがありました。

ステンドグラスも立派です。人もほとんどいなかったので、独り占めしているような気分でした。

当時の執務室や会議室。

空爆され、燃え上がるゲルニカを描いた作品も飾られています。

ゲルニカ平和博物館

続いて、バスク議事堂から徒歩10分のゲルニカ平和博物館へ。

この博物館は、2002年に開館し、「平和とは何か」「ゲルニカ空爆の遺産」をテーマにしています。

博物館の向かい側は現在の市庁舎。バルコニーにはEU旗、スペイン国旗、バスク州旗、ゲルニカの街の旗の下にウクライナ国旗。まさに平和について考えている場所らしいです。

入場料は6ユーロ(約900円)。支払いを済ませてチケットを受け取って中に入ろうとすると、受付のお姉さんに呼び止められ、こんな冊子を渡されました。

どうやら、展示の補足説明はスペイン語バスク語しかなく、冊子の英文はそれらの英語版のようです。流石に日本語のはないにしろ、有り難い。

さて、展示ですが、結構重たいものが多かったです。こんな重たい気持ちになったのは、2018年に訪れたベトナムホーチミンにある戦争考証博物館以来かもしれません。*3

空爆に至るまでの歴史的経緯から、被害まで、詳しく説明がなされています。上の地図は、赤が左派共和国政府の支配地域、青が右派のフランコ将軍の支配地域。この時点で右派勢力はかなり力を蓄えていたことが伺えます。ゲルニカがあるのは北の細長い赤の地域です。

床は透明になっていて、その下には当時の本物の当時の瓦礫が。まるで空爆直後のゲルニカを歩いているような臨場感があります。

当時の写真や遺物の展示が、悲惨な状況を物語っています。

階段の踊り場にはピカソの『ゲルニカ』のレプリカがありました。

ゲルニカ空爆から現代の戦争まで、実は繋がっていて、この連鎖を断ち切るために何が必要かを考えるコーナーもありました。

やはり、こういう少し重たい気持ちにはなるけれども、このご時世、戦争と平和イデオロギーの対立といった世界の諸問題について考えさえられる場所は必要ですね。かなり有意義な見学になりました。

昼食というか夕食

ゲルニカはコンパクトな町で、行きたい場所は堪能した感満載でバスでビルバオに帰って、午後5時頃にレストラン併設のバルへ。朝あれだけ食べたのに空腹です。ビルバオ新市街地にあるカフェ・イル・ニーニャというお店です。『地球の歩き方』にも載っています。

今度はしっかりガッツリと食べたかったので、カウンター席ではなく、奥のテーブル席へ。

飲み物は銘柄不明のスペインのビールで2ユーロ(約300円)。少し酸味が強かったですが、喉越しはスッキリで飲みやすかったです。

メインは人気メニューらしい子羊のフリット。15ユーロ(約2,250円)サイコロ状に角切りにされたラム肉に小麦粉を塗してカラッと揚げた初めて食べる感じの料理でしたが、下処理がいいのかラム肉特有の癖もなく、美味しくいただきました。しかし腰据えて食事すると高い。あとはタダでオリーブの実がでてきました。

 

そんな感じでスペインバスク最後の1日を過ごしました。翌日は次の町、アラゴン地方のサラゴサです。

 

つづく

 

*1:ソ連に接近し、実際にソビエト政府から援助を得ていた

*2:フランコ将軍の政権奪回でスペイン内戦は幕を閉じるが、結局スペインは第二次世界大戦ではドイツから距離を置き、中立となる

*3:まあ、インパクトや重さという面では戦争考証博物館の方がダントツで上ですが