だいすけろくの日々

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イタリア旅行2024覚え書きDAY5

おはようございます。

前2記事は日付けを書き忘れましたが、3月9日(土)、イタリア旅5日目、ボローニャ2日目となります。

Combo Bologna 

Combo Bolognaというホステルに泊まっています。ドミトリーですが、清潔で静かで同室の旅人も常識人のナイスガイなので快適です。

朝7時30分に起きて朝食をいただきました。クロワッサンの中にリンゴのジャムが入っていました。胃腸の調子を整えるためにも、プレーンヨーグルトも食べました。

ホステルだから客層は若者層ばかりだろうと思っていたら、イギリス人の初老の夫婦やスペイン人の家族連れなど、幅広い客層が泊まっているようでした。

食べ終えてすぐに観光に向かいました。

市場

ボローニャの観光スポットは旧市街地にコンパクトにまとまっているようなので、1日で一気に回ることにしました。もう明日はヴェネツィアに移動ですし。

駅前に遺跡のようなものが。ローマ時代のものではなさそうですね。中世期のものでしょうか。

これはもしや大麻のお店でしょうか。イタリアも大麻合法化したんですね、知らなかった。いろんな銘柄があるみたいで、値段もまちまちでした。

ボローニャの市街地を南北に貫くインデペンデンシア通りを南下すると、広場がテントで埋め尽くされ、大規模な雑貨市場が開かれていました。楽しそうなので覗いてみることに。

日用雑貨、玩具、靴、アクセサリー、衣料品が主な商材です。

これは衣料品コーナーですが、服全て1着2ユーロ(約320円)です。これは驚きです。手に取ってみても、穴もほつれもない、まさに新品。日本のユニクロより断然安いですね。実際に地元のおばちゃんたちが血眼になって漁っていました。そして、わしも黒いTシャツを1着買いました。本当に2ユーロでした。思わぬ収穫。

 

ボローニャの斜塔とマジョーレ広場

その後さらに南下すると、観光の起点となるマジョーレ広場に。

広場の奥に聳え立つのがボローニャの斜塔、別名アジネッリの塔。イタリアで斜塔と言えばピサの斜塔が有名ですが、わしは今回の旅で残念ながら行けなかったので、代わりに行くことに。

広場から撮った写真には塔は1本しか写っていませんが、実は塔はツインタワーで、2本とも傾いています。このうち、より傾き具合の急な写真奥の塔は閉鎖されていて、出前の塔は登ることができ、ボローニャの全域を見渡せます。

 

ところが

手前の塔も閉鎖されていました。貼り紙(イタリア語、英語で表記)によれば、手前の塔も傾き具合が激しくなりつつあるので補強工事中とのこと。これは仕方ないですね。

広場にあるネプチューンの噴水。下の女神(?)の乳首から勢いよく水が迸っております。

広場は警察官が巡回しているので、危険な雰囲気は皆無です。しかし、このパトカーカッコいいですね。流石フェラーリランボルギーニの国。運転中に何かやらかしてこのパトカーに見つかったら、絶対に逃げられないですよ。

 

アルキンナジオ

ボローニャは、世界史的には1088年にヨーロッパ最古の大学が設立された街として有名で、そのかつてのボローニャ大学(通称アルキンナジオ)の教室は今では図書館として使われています。そして、このアルキンナジオが有名なのは、世界初の人体解剖実験が行われたことで、2階にあり、その場所である部屋が一般公開されています。

そのはずでしたが、わしが行った時は、2階は閉鎖されていました。観光2連敗。

持参したガイドブックには、1階の壁面に飾られている歴代卒業生の家紋も必見的なことが書かれていたので、取り敢えずギッシリ壁に貼り付けられた家紋のレリーフを見学して終了です。

 

市立中世博物館

気を取り直して、広場から少し離れたところにある中世博物館に向かいました。ここは貴族の宮殿だった建物を利用していて、その名の通り、中世からルネサンス期にかけての武器や工芸品を多数展示されています。入場料はお手頃に6ユーロ(約960円)。

ボローニャ大学での当時の授業風景のレリーフ。最初に作られた学部は法学部だったそうですが、それも現在の法学部とは違い、むしろカトリックの教義に基づいたむしろ神学と言ったほうがよい感じのものだったのでしょう。

ところが、次の部屋に移ろうと係員のおばちゃんに、「ここから先は撮影禁止ね」と言われたため、隠し撮りして投稿するのもマズいでしょうし、ここから先の写真はありません。

ただ、中世期の鎧や刀剣や、後に日本に伝わって火縄銃となったであろう初期の銃火器といった武器、ガラス細工の数々は見ていて面白かったです。ヨーロッパのみならず、オスマン帝国時代のトルコの展示もありました。

 

市場と昼食

その後は広場の東側のエリアを散策しました。

ボローニャ市民の台所的なエリアで、八百屋に肉屋や魚屋、チーズ屋、ワイン屋など、食材を取り扱うお店が軒を連ねていました。美味しそうなものばかりです。

そのエリアに隣接して、地元の食材を使った美味しそうなレストラン街が広がっていました。

フィレンツェ中央市場ほどではありませんが、屋内フードコートもありました。このフードコートで昼食にすることにしました。

フードコート内のこのお店で食べます。店名の始めの2文字(?)がロゴマークなのか店名を構成する通常のアルファベットをいじったものなのかわからないので、店名もわかりませんが、食べたかったボロネーゼがデカデカとメニューに載っていて、おまけに安かったので即決。

店内はこんな感じ。ガラガラに見えますが、それは席数が少ないのと、わしが入店したタイミングで他のお客さんが食べ終わってたて続けに席を立ったからで、この後ほぼ満席になりました。

昼食は元祖スパゲティボロネーゼ、正式にはタリアテッレ・アッラ・ボロネーゼです。9ユーロ(約1,440円)。タリアテッレというのが、きしめんのような平打ち麺状のパスタのことで、これは挽肉とうまく絡んでくれるためであり、ボロネーゼではこのタイプのパスタを使うのが元来正しいとされているそうです。

パルメザンチーズをたっぷりかけていただきました。日本のサイゼリヤジョリーパスタと違ってミートソースの水気がなく、その分肉の旨味成分が流れ出ることもなく、凝縮されていて、とても味わい深くて美味しかったです。そして、かき混ぜなくとも挽肉が自然とタリアテッレに絡んでいくので、食べ終わった後に皿に挽肉が残っていることもありませんでした。

食後にエスプレッソを頼んで2ユーロ(約320円)でした。まあ、ユーロ圏基準だと安いです。ユーロ圏基準だと。

 

帰り道とかデモとか

昼食後は広場南側にあるサンベトローニオ聖堂でひと休みし、別の経路を通ってホテルに帰りました。高級ブランドショップの並ぶアーケード的な場所を通りました。ルイヴィトンとかありました。

ボローニャ中央駅そばに戻ってくると、何やらデモ活動が。ただ、暴動に発展するような過激な感じではなく、ただ集まって行進しているだけといったところです。ただ、赤い旗がたくさん掲げられていたこと、ソ連国旗を彷彿とさせる鎌と金槌を組み合わせたマークが赤地に描かれていたことなどから、左派グループによるイタリアの現右派政権への抗議活動ではないかと思われます。

車のドライバーさんたちにとっては迷惑この上ない話のようで、あちこちからけたたましいクラクションが鳴り響いていました。

 

夕食@Osteria dell'Orsa

宿に帰って昼寝してから19時頃に夕食のために再び外出しました。

日が沈んだボローニャの広場も趣きがあります。

朝訪れた雑貨市場が開かれていた広場に近いOsteria dell'Orsaというレストランに来ました。

昼間に一旦宿に戻ってから、トリップアドバイザーで、味とコスパ両方の点において高評価な店を検索して見つけました。

店内は既に8割くらい埋まっていましたが、座れました。高級感があまりなく、カジュアルで程よく雑多な雰囲気がいいですね。レストランというより、スペインバルに近い感じがします。

ラザニア・アッラ・ボロネーゼ10ユーロ(約1,600円)、プロシュートとパルマハムの盛り合わせ8ユーロ(約1,280円)、グラス(コップだけど)赤ワイン2ユーロ(約320円)。

まずワインが甘口でハム類のしょっぱさとマッチしていつまとても美味しかったです。やはりイタリアのワインはハイレベルだなと感じました。

ラザニアは、外側がカリッとしていて、中に昼食同様に挽肉と肉の旨味を吸ったチーズにラザニア独特の平面状のパスタがトロトロになっていて、とてもボリューミーでした。改めて、ボローニャの食のレベルは高いと思いました。

 

そしてほろ酔い気分で気持ちよく宿に帰りました。

あまり日本では知名度が高いとは言えないボローニャですが、秘めているポテンシャルは高いと思います。独特の歴史、食文化はもっと広まっていいと思います。わしも来るまでは正直何があってどんな街なのかよく知りませんでした。しかし、まあ残念ながら観光できなかった場所はあるものの、来てよかったと思わせてくれました。そしてこういう気づきの連続が「旅している」ということなのだな、と思いました。

これでボローニャとはお別れ。明日はいよいよヴェネツィアに移動です。

おやすみなさい。

 

つづく